コーヒーカップ一杯の話

限界オタクが体験したことを綴るだけのブログです

ロボットと人間の違いとか

こんばんは。深山です。

今日はコーヒーではなくカントリーマアムを食べながら書いてます。

年々小さくなっているような気のするこのお菓子。

数十年後には概念となって売っていそうですね。

どこまでがカントリーマアムと判断されるのか見ものです。

 

さて今回も架空図書の表紙を作ってみました。

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画像のリンク元は以下になります。

https://unsplash.com/photos/-iFhGZP_mhk

今回もSF風の作品を意識して作ってみました。

英語も混ぜちゃったりなんかしてちょっとおしゃれですね。

フォントもこのためにインストールしてみたのですがどうでしょうか。

ただ文字が小さいので見にくいかもしれません。

英語が全くできないので、もし英文が間違っていたら教えてください。

 

さて今回のあらすじはこんな感じです。

実験の一環としてロボットのダニーと同棲することになったマリア。

最初はぎこちない動きをしていたダニーだったが、マリアと過ごすうちに人間に近い行動をするようになる。

いつしか二人の間には愛のようなものが生まれていくが、ダニーは自分の内に沸いた感情というものを処理できなかった。

感情の制御ができずエラーを起こすダニー。

果たして二人の運命やいかに…。

 

今回はロボットと人間の違いを考えた話でした。

ロボットに感情というものは生まれるのか、それともそれはあくまでシュミレートに過ぎないのか。

私は人間は肉という素体に脳という機械を積んだロボットだという考えでいるので、ロボットにも感情が宿るんじゃないかと思っています。

そういえば戦争が大好きで有名な某吸血鬼漫画の大隊指揮官殿はサイボーグでしたね。

彼は自分を「人間だ」と強く言っていたので、彼にとっての人間は強靭な精神を持つものという意味になるのでしょう。

だからその肉体がなんであるのかは関係ないのかなと。

私はこの考えが非常に好きです。

強靭な意志の定義は曖昧ですが、人間もロボットも意志があれば生きている、生命であるといえるのかもしれません。

 

感情というものは極論人間が生きて、子孫を残す際に合理的判断が下されるように進化したものではないかなんて考えたこともありました。

快か不快かを判断するために感情があると考えたこともあったのですが、快と感じる者が感情なんじゃないか。

それだと鶏が先か卵が先かの話になりそうだったので深くは考えていません。

何にせよ人間とロボットの境界線は曖昧なんじゃないかというのが私の持論です。

 

将来人間のように、ロボットが考え、行動し、自らの人権を主張する日が来るのかもしれませんね。

さて、紙面が尽きてまいりました。

また次の記事でお会いしましょう